さまよえる仔羊

優柔不断全開、人生の迷子であるひつじ™のアレコレ。

Comic: 「泣き虫チエ子さん」 益田ミリ

益田ミリさんとの出会いは、「すーちゃん」。
オットが買って来てくれたように記憶しています。
極端に力の抜けた絵とやけにリアルな女性の本音。
自分でも気づかずについたため息のように、女性たちのひとり言が聞こえるような。
共感共感共感の連続。
オットがなぜにぴぴっと来たのか不思議なくらいです。

その益田ミリの新刊が出ているとオットに伝えると、早速その日に買って来てくれました。 

これまでは女性中心に描かれていた彼女の世界に、家族が増えていた。
夫婦が主役でした。

相変わらずのほっこり感。
夫婦にありがちな風景。
けんかをしていても、思わずほっこり。
そして、行間の多い詩のように、深く深く考えさせられます。

一つ、とても気になっていることがあります。
10年以上一緒にいる二人。
でも、子供が出て来ません。
子供についての言及が一切なく、年を取るまで二人だけというような印象があるのです。

独身女性が持つ現実を、過度に感情移入することなくさりげなく扱うことが得意な彼女のこと、この後、二人の間にあるシビアな問題に触れられるのではないかと思っています。
それが当たりなのかどうかは分からないけれど、期待せずにはいられません。 

できるだけ本を買うのをやめようと思いながら、どうしても手に取ってしまう彼女の本。
早く2巻が出ないかなと、今から首を長くして待っております。

 

Book: 「ほかならぬ人へ」 白石一文

タイトルがずっと気になっていた。
単行本の表紙のイラストも気になっていた。
泣いているのだろうか。
悔いているのだろうか。
愛しい誰かを思っているのだろうか。 

男女の恋愛を綴った短編集で、タイトル作品は冒頭にある。

私自身は疾うの昔に恋愛に対するファンタジーを失ってしまった。
男性に対する理想や希望、欲望のようなものも小さく残しているに過ぎない。
だからなのか、読後に作者のプロフィールを読みながら、男女の恋愛を描くことに長けているという白石作品にはあまり縁がないと思えた。

どうしようもなく、まるで引力のように惹かれ合う男女とそれに振り回される男女。
そんなエピソードが次々と出てくるが、どうしてそうなるのかと思わずにはいられない。
その人がたいせつと言うならば、なぜ、早くから気づかないのかと。
自分の相手はこの人ではないと気づくのが遅すぎると。
私自身が分かっているからではない。
登場人物たちの傷が深まるのを見ていられないからだ。

しかし、二本目のエピソードに入り、星の引力に振り回されるように、私もまたこの本のタイトルが持つ力によって「読まされた」のだと思うことにした。
この作品には、私と父の名前が出てくる。
父の名前に到っては漢字まで一緒だ。
そうして、著者が意図しない妙な親近感を持って作品を読み続けることによって、私なりに気づいたことは、確かにあった。

等身大で読むよりも、恋愛の渦から遠ざかった頃に読むのがちょうどいい作品かもしれない。
そうでなければ、たくさんの迷いが生じそうだ。

 ※ 2009年下半期 第142回 直木賞受賞作

Book: 「肩ごしの恋人」 唯川恵

直木賞受賞作品をとにかく読み漁ってみようと思い立ち、最初に手にしたのがこの本だ。
唯川恵の作品はこれまでにもいくつか読んでいるが、毎回、ふーんという感想だった。
正直に言うと、あまり男女の恋愛をテーマにした作品は好きではない。
描かれる世界が私自身の感覚とずれていることと、たいていの作品に出てくる男も女も好きになれないからだ。

今回は勝手が違った。
主人公(女)とその幼なじみの女性が、魅力的だった。
特に幼なじみのるり子。
とにかく男にだらしなく、次々と良さそうな男をたらし込んで、最後には主人公の元恋人を夫にしてしまう。
女としてある程度生きてきて、ようやく彼らのような生き方も想像でき、受け入れられるようになったのかもしれない。
最近、私はこういう突き抜けた女性に弱い。
何が悪いのよとふんぞり返り迷いがない。
うらやましい生き方だと思う。

ストーリーもなかなかおもしろい。
昨今は他人と大きな家に住むことが流行になりつつあるが、主人公と幼なじみ、高校生の男子三人での不自然な同居生活が始まり、それぞれの愛に目覚めていくというものだが、そのプロセスは軽快で楽しく、心にそっと灯がともるような温かい話だ。
私の駄文では実に陳腐な話になってしまうが。

中学生の頃、幼なじみと毎朝学校に行くときに、大人になったら東京に出て一緒に住もうと夢のような話をした。
お互いが通うことになった大学が離れた場所だったため、今ではその友人とも数年に一度会うかどうかというつきあいになってしまった。
私と彼女が、いま仮に同居することになったとしたら、どんな生活になるのだろう?
この主人公のように押し掛けてきた友人をそのまま受け入れることができるだろうか?
そんなことを考えながら、自分からはなかなか助けてと言えないけれど、友人がいつでも助けてと言ってくれるような人間でありたいと思った。

※ 2001年下半期 第126回 直木賞受賞作 

Book: 「カディスの赤い星」 逢坂剛

PR会社社長である主人公がクライアントから受けた人探しの依頼。
行方知れずのギタリストを捜すうちに、スペインの民主改革の波に巻き込まれて行くハードボイルドサスペンス。

この本を読み始めてまず驚いたのが、スペインの民主化が私が生まれた後に為されたことであったことです。
いい年をして恥ずかしいことだと思うと同時に、日本に住んでいることがいかに平和なことなのかということを改めて認識しました。 
私の中では、革命や民主化の物語は遠い昔の神話の世界に等しいことだったのです。

それが急激に身近に感じられたのは2011年11月に起きたエジプト争乱。
2009年の春に訪れたばかりでした。
遠くにピラミッドを見やりながら近代化した街をふらふらし、マクドナルドやケンタッキーなどの民主主義の象徴的飲食店を何の気なしに利用していたのです。
エジプトのニュースを見て、ただただ驚くばかりでした。
アラブの春という民主化の突風に吹かれるニュースが連日報道される中でこの作品を読み進めるのは、実に想像力を掻き立てられる経験でした。
途中から手が止まらなくなり、一気に読み終えた後、ふーっと深い息をついたことを記憶しています。

解説を読んでさらなる驚きが。
著者の処女作だというのです。
原稿用紙に、横書きで、手書きで。

中学生だった頃、友人と小説を書いていたことを思い出しました。
時間を見つけてはレポート用紙に横書きで書き綴る。
友人の頭の中にある世界を早く見たいとせがみ、モチベーションを維持させようとお菓子で釣るようなやりとりも、当時はとても楽しかった記憶があります。

著者がこの作品を書き上げてから出版するまでには随分と時間がかかったそうです。
作品に溢れる勢いを失わせたくないと、敢えて多くの修正を行わなかった。
その気持ちが分かるような気がします。 

国際政治の世界を精緻に書き込む高村薫の作品と比較すると、細かいことは省かれ、ファンタジーめいた作品とも感じられる。
むしろ、そこが痛快で気持ちが良い。
薄暗い世界ばかりではなく、登場人物たち一人一人に人間らしさを感じ、遠い国に生きる世界の息づかいが聞こえるような。 

この作品を読んだ後、お隣韓国の民主化もつい最近だと知り、また驚きました。
私は世界をあまりにも知らない。
でも、こうして小説を読むことで、年代とできごとのリストだけではない歴史を心に留めることができる。
たとえフィクションであっても、時刻をテーマにした作品ではなくても、その向こうには人類に共通する思いがあり、事実が見え隠れしている。 

この作品には、小説を読む上での新たな視点を与えてもらったような気がします。

※ 1986年下半期 第96回 直木賞受賞作品

 

Book: 「スキップ」 北村薫

ハリガネムシの傷をえぐり続けるような描写に疲れて次に手を伸ばしたのが、北村薫の「スキップ」。
とにかくクリアなミネラルウォーターを飲みたかった。
そんな気分だ。

携帯小説にありそうな横文字単語のタイトルになかなか手が出なかったのだが、時と人三部作の第一作という何とも魅力的な響きに、ある程度ストーリーを予想しながらページを開いた。

もともと、私はタイムスリップやパラレルワールドなど、時間軸の歪みを舞台にした物語が大好きだ。
好きな映画を問われれば、気恥ずかしさ半分で「スターゲート」と答える。
テレビ版ですっかりマニア向けの作品となったこの名前を聞くと、たいていの人が変な顔をする。
もっとロマンチックな作品名を挙げることだってできるが、人類最大の謎を解き、自ら新しい世界に乗り込む典型的なインドア系科学者が、異世界の住人と交流を深め、その敵と戦い、最後には自らの生まれた世界を捨てて新しい世界に留まる決断をする。
私の中で最もロマンチックなシチュエーションであり、主役の博士はもちろんハンサムなメガネっこだ。
ちなみに、私をメガネ萌えにしたのはスーパーマンことクラーク・ケントだ。

どうでもいいことばかりを書いてしまった。話を戻そう。

「スキップ」で時間を飛び越えてしまうのは、17歳の女子高生だ。
しかも、気がつくと25年以上の時を飛び越え、高校教師をするオバサンとなっているのだ。
飛び越えてしまった時間の記憶はまったくない。
目の前に現れる自分と同じ年の娘と、恋をするにはあまりにおじさんな夫。
過去に戻る話は数あれど、あまりに残酷ではないか。
17歳以降の自分の人生を振り返ると、そこには濃密な思い出があり、今の私はその後のできごとによりしっかりと形成されたと認識している。
その記憶がごっそりと抜けているとは。

それでも、少女の心を持ったオバサンは前を向いて生きていく。
生徒と心を通わせ、娘とたくさんの話をし、夫と距離を縮めていく。
あるエピソードには涙さえ流した。

全編にわたり、そこには教師の生徒への愛情を感じる。
作者のプロフィールを見ると、そこにはかつて高校教師をしていたことが紹介されていた。
目から鱗だった。
北村作品のやさしさは、若者の成長を信じて見守る教師の目線だったのだ。

私は17歳の女子高生は経験したことがある。
残念ながら教師の経験は一度もない。
いつも煙たい存在だった先生たち。
時に交流があったとしても、いつも私を評価するだけの存在だと思っていた。
どこか別世界の住人だと感じていた。
そんな彼らの素の顔をふと思いだし、会いたいと思った。
あの頃の先生はどんなことを思いながら毎日を送っていたのか、聞いてみたい気がした。 

Book: 「神の火」 高村薫

図書館で北村薫作品を読もうと手に取った時、短絡的に高村薫のこの作品を読みたいと思っていたことを思い出しました。

原発を扱った作品です。 

3.11以来、原子力発電にまつわる問題については何ともすっきりしない思いを抱えて来ました。
情報ばかりが溢れ、答えがどこにもないからです。
人間は、自分たちの手に負えない力を手に入れてしまったのではないか。
私たちの生活は、とてつもないエネルギーを持ちながらもあまりにも不安定で危うい、人知を超えた奇跡の上に成り立っている。 
そんなことを思い、この問題について不用意に口にすることは止めようと心に決めました。

ただ、考えることを止めてはいけない。
知ることを止めてはいけない。
ただ、あまりにも情報が多く、何を信じていいのか分からない。
しかも、この手の情報はやたら小難しい単語と数字ばかりで、まったく頭に入ってこない。
だから、小説の力を借りることにしました。

高村作品に取り上げられる世界は、私の日常とはあまりにかけ離れた世界です。
原発の元研究者にして国際的スパイ、ロシア人とのハーフ、造船会社の御曹司。
想像もできない世界を、高村薫の緻密な描写がリアリティを感じさせてくれます。
そして、その合間合間に原発を巡るさまざまな課題やこれまでの経緯が主人公の口を通して語られる。
実に分かりやすく、あらゆる側面から。

3.11以前、一度この作品を読んだ記憶があります。
ただ、その時はただの娯楽作品としか受け取っていなかった。
3.11以後、確実にこの作品の受け取り方が変わっていた。
私の中に確かな変化が起こっていることを実感させてくれた。
小説に対する感想よりも、今このタイミングで読んで良かったと思える作品でした。 

Book: 「ハリガネムシ」吉村萬壱

正直な話、読み終わった後はなんつーしょうもない話だと思った。
平凡だったはずの高校教師が堕ちていく。
ただそれだけの話だ。

そのしょうもなさ、不快さ、どうしてこうなるんだという納得のいかなさ。
にも関わらず、一気に読み終わってしまった。
理不尽なその思いをオットに説明しながら、あぁ、これだけ私の感情を揺さぶっているのだと認識すると同時に、この作者はとても優れたストーリーテラーなのだと思わされた。

それにしても酷い話だ。
人の心の中に潜む残酷な心を引き出す女と出会ってしまったために、人間として最低辺と思えるような堕落を経験し、束の間と思われたその世界から、恐らくはその泥沼から這い上がることはできないであろう主人公。
そして、それは恐らく、主人公本人の中にもともと存在した欲求で、他者によって引きずり込まれたように見えるこの状況は、すべて自らの選択なのだと。
誰が誰を引きずり込み、何が堕落なのか。

この感覚はどこかで経験したことがある。
そうだ、学生の時に読んだジュネの「泥棒日記」だ。
あの時は、こんな世界もあるのかと強いパンチを食らった気分で、思わず鼻の奥がツーンとしたのを記憶している。 

などと、この作品から読みとれそうなものを最大限読みとろうとしたけれど、こんなもん真剣に考えたら、自分もこの堕落スパイラルに巻き込まれると思い直し、とりあえず忘れることにする。
脳内の記憶容量だって有限だ。

教訓とするならば、人生、どこに落とし穴があるか分からないということか。
男女の関係で身を持ち崩す人の不可思議さの謎が解けた気がする。
一度足を踏み外したら、重力には逆らえないのだ。
よく例えられるとおり、そこは泥沼なのだろう。

記憶に新しい芥川賞受賞作が「苦役列車」だっただけに、読み終わった時には膝から崩れ落ちそうになりました。 

※ 2003年上半期 第129回 芥川賞受賞