さまよえる仔羊

優柔不断全開、人生の迷子であるひつじ™のアレコレ。

Book: 「カディスの赤い星」 逢坂剛

PR会社社長である主人公がクライアントから受けた人探しの依頼。
行方知れずのギタリストを捜すうちに、スペインの民主改革の波に巻き込まれて行くハードボイルドサスペンス。

この本を読み始めてまず驚いたのが、スペインの民主化が私が生まれた後に為されたことであったことです。
いい年をして恥ずかしいことだと思うと同時に、日本に住んでいることがいかに平和なことなのかということを改めて認識しました。 
私の中では、革命や民主化の物語は遠い昔の神話の世界に等しいことだったのです。

それが急激に身近に感じられたのは2011年11月に起きたエジプト争乱。
2009年の春に訪れたばかりでした。
遠くにピラミッドを見やりながら近代化した街をふらふらし、マクドナルドやケンタッキーなどの民主主義の象徴的飲食店を何の気なしに利用していたのです。
エジプトのニュースを見て、ただただ驚くばかりでした。
アラブの春という民主化の突風に吹かれるニュースが連日報道される中でこの作品を読み進めるのは、実に想像力を掻き立てられる経験でした。
途中から手が止まらなくなり、一気に読み終えた後、ふーっと深い息をついたことを記憶しています。

解説を読んでさらなる驚きが。
著者の処女作だというのです。
原稿用紙に、横書きで、手書きで。

中学生だった頃、友人と小説を書いていたことを思い出しました。
時間を見つけてはレポート用紙に横書きで書き綴る。
友人の頭の中にある世界を早く見たいとせがみ、モチベーションを維持させようとお菓子で釣るようなやりとりも、当時はとても楽しかった記憶があります。

著者がこの作品を書き上げてから出版するまでには随分と時間がかかったそうです。
作品に溢れる勢いを失わせたくないと、敢えて多くの修正を行わなかった。
その気持ちが分かるような気がします。 

国際政治の世界を精緻に書き込む高村薫の作品と比較すると、細かいことは省かれ、ファンタジーめいた作品とも感じられる。
むしろ、そこが痛快で気持ちが良い。
薄暗い世界ばかりではなく、登場人物たち一人一人に人間らしさを感じ、遠い国に生きる世界の息づかいが聞こえるような。 

この作品を読んだ後、お隣韓国の民主化もつい最近だと知り、また驚きました。
私は世界をあまりにも知らない。
でも、こうして小説を読むことで、年代とできごとのリストだけではない歴史を心に留めることができる。
たとえフィクションであっても、時刻をテーマにした作品ではなくても、その向こうには人類に共通する思いがあり、事実が見え隠れしている。 

この作品には、小説を読む上での新たな視点を与えてもらったような気がします。

※ 1986年下半期 第96回 直木賞受賞作品