さまよえる仔羊

優柔不断全開、人生の迷子であるひつじ™のアレコレ。

Book: 「虐殺器官」 伊藤計劃

 

読み終わってしまった。
できるだけ丁寧に時間をかけて読んだ。
そこに書かれていることが、私も経験するだろうほんの少しの未来に思えたから。
私自身、これから確実に押し寄せてくる目の前の未来に、どう対応すべきかを考えたかった。
それだけリアルな世界だった。

IT系の仕事をしている人なら、そこには疑問を挟む余地のないリアルな世界が広がっている。
その衝撃はマイノリティ・リポートを初めて読んだ時ほどではないものの、否定しようのない現実なのだと認める以外なかった。
もはや「計数されざる者」でいるのは困難なのだ。

であればこそ、やはりマイノリティ・リポートの衝撃後に体から湧き出した嫌悪感と恐怖をたいせつにしたいと思った。
私の情報は今やあらゆるところに点在し、日々ものすごい勢いで繋がり始めている。
情報を提供しなければサービスを受けられない時代だ。
私は情報を発信することには抵抗はないが、それらが繋がることには嫌悪感がある。
無意味なはずの点が私の意図と異なる線を描くのが、怖い。
点と点を結ぶ線はデータ解析により得られた推測の結果でしかない。
たとえ現実に近いとしても、統計的に得られた数値の掛け合わせは70%程度の信頼性しか持たない。
限りなく100%に近づくことはあっても、100%になることは決してないのだ。
そこに描かれたものは私そのものではないはずなのだ。
だが、それしか見ていない人は、それを私の全てだと思う。

人間は科学を過信する。
それは本当に信頼足りうるものか?
今目の前に提示された情報は信用に足りうるものなのか?
何を、誰を本当に信じて生きていけばいいのか?
私たちは気づかないうちに誰かの意図に影響されていないか?

私は漫然とではあるが随分と長い間このことを考え続けてきたが、今も明確な答えは得られていない。